自分は誰なのかを、ようやく思い出した男の物語

2022/12/04
ある巨万の富を持つ大富豪の息子がいた。
学校に通っているときに、悪い友達にそそ
のかされ、家出をして、不良の仲間になった。
その後長い時間、放浪の旅の末に、スッカラカン
になり、そうだ、家へ帰ろうと思い付く。
でも、勝手に家を出て、父は許してくれるはずは
ないと思い、変装して、掃除夫として応募して
雇われるところから始める。
父は最初から気がつくが、掃除夫は、きちんと
仕事をして、時間はたち、認められ執事に
まで取り立てられる。
最後に父は、最初から息子と解っていた
ことを明かし、息子よ、お前の働きは素晴ら
しい、私のすべてをお前に譲ろうと、申し出る。
許された放蕩息子は声を上げて泣いた。
(仏教の説話より)
、、、、、、、
音を聞くと、どんな音でも、すべて即座に
譜面に書き取れたり、音楽の構造がすべて
解ってしまう男がいた。
若いときは華やかな世界も、経験したが、
余りにも、ヤクザで儚い世界に辟易して、
長年、若い人や年取った人、アマチュアに、
音楽を教える仕事をしていた。
楽譜という、音を視覚に置き換える文化が、
200年も続いていたので、ほとんどの人は、
音を楽しむのは大好きだが、
仕組みを理解したり、記憶したりはせず、
音は目で理解する習性を持っていた。
つまり目で見て演奏したり歌ったりして
いたのだ。
男は音楽を教えることに、情熱を傾けて、
長い時間、生涯を捧げて来たのだが、
ほとんどの人は、音楽自体を学ぶことは
なく、楽譜によって音を視覚に置き換えて、
その場だけ音を楽しむという行為に耽って
いただけだと気がついて愕然とする。
男は悟る。
音は、教えることは出来ない、自分に
聞こえる分だけ、自分で学ぶもの
なのだと気がつく。
男は考えた。
そうだ、もう一度原点に戻り、音を
楽しむ、奏でる。
そして乞われるなら教えても良い。
皆のために、そして自分のために。
と思い直すのだった。
やはり音を楽しむのは楽しい。
だから音楽という。
特に、まだ聞いたことの無い曲や、
聞いたことのないよい声に
出会ったときには。