多摩川大橋の下で、釣り人の皆さんと同じ場所でフルートの日課稽古をすますと、バスで川崎へ向かう。
さらに移動して、映画アメージンググレース、アレサフランクリンを桜木町の映画館で鑑賞。
アレサフランクリンは、1942(昭和17)年テネシー州メンフィス生まれ。
母は歌手、父は教会の説教師として有名で、アレサを小さい頃から連れて各地を周り、歌声を鍛え、磨き、その才能を発見したのは父だった。
僕は、中学生のとき、ラジオから流れる、アレサのバートバカラックの小さな願い、I say a little prayer のハスキーな歌声に魅了された。
同時期にオーティスレディング、ウイルソンピケットなど、この特別な声は、黒人の歌手のものであることを知り、ソウルミュージックの魅力に取り憑かれた。
その後も、アレサのアルバムは注目していたが、個人的なベスト版愛聴盤は、その名もズバリ、アレサというアルバム。
名プロデューサー、デイビッドフォスターが監修した、ドゥービーブラザーズのカバー、What a fool I Beliebe が入った奴。サンボーンの間奏も泣ける。
映画では、Blues Brothets1,2でも、女優、歌手として、お母ちゃん役でいい味を出している。
アレサの歌のすばらしさは、ただのポップソングが、ソウルの名曲になり、普通の色恋の歌が、人類愛の歌に聞こえると言われる。
さて、この映画アメージンググレースは、アレサ30才、教会で、クワイヤー(合唱団)観客も入れた、ライブレコーディングの記録映画。父親や、影響を受けた先輩歌手も登場して背景もわかり最初から最後までアレサの歌唱が楽しい。
1972年というと日本は浅間山荘事件や、田中角栄が首相になり、日中国交正常化が始まったあたり、いつから、中国とは異常な関係になっていったのだろうか?
個人的には、アレサの素晴らしい歌唱には、もちろん感激するのだが、当時の黒人たちの髪型やファッションが楽しい。
チェックのブレザーの柄や、シャツの襟のデザインが懐かしく、日本でもこういういでたちの人が居たななどと、想像するのが楽しい。
映画の中の、客席にいた、エンジのスーツに紺色のシャツを合わせた青年のおしゃれ度に感服。
バックを務める、バーナードパーデイのドラムに、チャックレイニーのベースは、元祖16ビートのシェイクをやらせたら右にでるものは居ない当時最高のリズムセクションで、あのソウルサックスのキングカーチスの傑作アルバムを思い出す。