僕はなぜジャズミュージシャンを志したのか?歌い手から何を学んできたのか?

2021/02/09

僕は、中学高校と吹奏楽部には参加して、マーチ、クラシック、ポップスを楽しんでいたが、やはりラジオやテレビから聞こえてくる、渡辺貞夫(as)や日野晄正(tp)のジャズが、格好良かった。

特に高校生の時に、日野さんや、当時活躍していた、菊地雅章(プーサン)の生演奏を秋田市で聞くことが出来たのが大きい。 当時音楽大学にジャズ科は無く、大学のジャズ研でも入って頑張ろうかとも考えて、東京で大学生活を始めた。

今でもそうだが、田舎では犯罪者、人をだます人は、生まれてから見たことがないので、免疫が無く、よく押し売りやいろいろなものにひっかったりだまされたりした記憶があり、笑ってしまう。

 

当時は、キャバレーが都内にはたくさんあり、ジャズミュージシャンを目指しながら昼間はジャズ喫茶などに出演、夜は、キャバレーで演奏して日銭を稼ぐ若者は多かった気がする。 19才から4年間は、キャバレーで演奏し、昼間はレコードコピーなどで勉強して修行した。昼間は、ピットインなどに出ているジャズのバンドに出入りして、先輩にいろいろ習ったり話を聞いてバンドマン駆け出し時代を過ごした。 キャバレー時代にも面白いエピソードはたくさんあるのだが、いろいろな人に君は将来大物になるよと言われて、努力した甲斐があって、いろいろな人に声をかけて貰い徐々に上へ登っていった。

 

考えてみると、いろいろな歌い手さんの伴奏をしたので、歌声とともにその人間性は記憶に残るものだ。バンドに、お小遣いをくれた、ディックミネさんは、60代にして20代の女性が彼女だった。 マドロス演歌の田端 義夫 (たばた よしお、1919年1月1日 - ) さんの印象は強烈だ。僕がステージでお会いしたときでも、70歳前後だったろうか?声の艶といい、色気魅力といい、素晴らしく、その広がりに宇宙を感じさせるのだった。 みんな、人生も、女もこれからだよ!のメッセージは痛烈に今も残る。僕もいつも言い聞かせる、これからいい女に出会うかも!?(笑)

 

僕が20代の頃、現在小池知事から目の仇にされている新宿歌舞伎町の、ホストクラブで演奏していたときのこと。そのバンドでは僕もサックスの他、フォアフレッシュメンのジャズコーラスのレパートリーを歌っていたのだった。リードボーカルは、元ジャニーズの、中谷良。

 

対バンといって2つのバンドが交代で演奏するのだが、もう一方のバンドは歌謡コーラスバンドで、そのメンバーから、おいあの若いサックスだが、テクニックはあるのだろうが、歌わないな、歌心はゼロだな?と噂されていると言う情報が入った。 負けん気を刺激された僕は、懸命にいろいろな曲に歌心を乗せて演奏し続けると、1ヶ月後に、そのバンドから一緒にやりませんかとオファーが入ったのだった。(笑)

 

さて30代の頃、有名アイドルだった河合奈緒子さんのバンドに3年間在籍していた。地方公演が多く、いろいろなトラブルや修羅場の話も面白いのだがそれはまた別の日に。 引き立て役で雇われているパートナーの男性歌手が、僕の歌伴のサックス演奏が、あれじゃ棒吹きだよな?歌心が・・と相変わらずの歌の世界のテーマが話されていた。早速、気をつけてサックスで歌うように演奏するようにして、文句の付けようがない状態へ・・。(笑)

 

その後ロックスター矢沢さんのツァーに参加するのだが,こちらもエピソードが多すぎるので次回にしよう。

 

音楽の世界は、歌が99%位なので、楽器の人は勢い歌に関連する仕事で働くことが多い。特に管楽器は、息を使うものなので、歌の人から学ぶものは多い。

どのくらい学んだかは解らないが膨大な学びであっただろう。 いまの僕の演奏が多少とも歌心があればそれはこの数多くの歌い手さんからステージの上で学んできたものなのだろう。

 

追伸:菊地康正サックス、フルート道場では、楽器で歌心を発揮する方法も指導しています。

http://kose-sax-flute.jp/saxroom.htm

http://kose-sax-flute.jp/Fluteroom.htm