高野山を訪ねる

2019/08/29

真言宗開祖空海が高野山を開いたのは千二百年前とのこと。

なんばから南海電車に乗ると、極楽橋からはケーブルカーで高野山に向かう。

当時中国には、仏教のほか、景教(キリスト教)、回教など世界の色々な宗教が伝わっていたそうだ。

明治時代に西洋文明を学んだように、当時も日本人は貪欲に大陸の文明や宗教を学び取り入れたのだろう。

良いものは取り入れ、合わないものは真似しないのが日本流。

さて、ケーブルカーのあとはバスで高野町に入る。

まずは一の橋から、今でも大師様が永遠の禅定に入っているという奥の院へむかうと、ものすごい数のお墓が続く。

つい最近の、松下や日立の企業の殉職者の慰霊碑から、両腕を切り落とされて尼僧となり、高名な日本画家でもあり障害者に尽くした、大石順教尼のお墓にも手を合わせた。

武将のお墓は、織田信長、武田信玄・勝頼父子、明智光秀、石田三成、豊臣家など。全部は発見できなかったが、、、。

今日は、日本の歴史と対面する日。

僕は秋田出身なので佐竹の殿様のお墓にも手を合わせた。

英霊殿では、太平洋戦争の英霊を祀っている場所、尋常ならぬ霊気を感じて、思わず感涙しそうになる。心から感謝の気持ちで頭を垂れた。

大石順教尼も得度したという、金剛峯寺から壇上伽藍へ向かう。

壇上伽藍には、金堂、御影堂、根本大塔、西搭、中門、三鈷の松など見どころが集中。

ちょうど改装工事をしているのが、根本大塔。

中の金の仏像群の豪華さと、円柱に描かれている観音様だろうか?

極彩色の横尾忠則を思わせるサイケデリックな、色彩に、魅了されて、思わずトリップしそうになる。

へたりこんでしばらくそのサイケデリック仏画を眺める。

これは昔の人を魅了しただろう。仏教文化は日本人の血肉になっているのを実感した日だ。

さて、帰り道は、南海電鉄上古沢駅で下車すると、一駅トレッキングで汗を流す。

一駅といっても都会のそれとは違い10キロくらいは山道を歩いた。

渓流では、フルートを取り出して吹くと、いつもの奥多摩の渓流散策をしている気分だ。

渓流の水の音はいくら聞いていても飽きない。

違うのは、東京の自宅に戻るのではなく、なんばの宿へ戻るところだろう。

仕事やアート一辺倒ではなく、都会の喧騒を離れて取り戻す時間も必要だ。バランス感覚。もっと詳しく。