音楽家エピソード

2019/07/09

クラシック編

カラヤンが指揮するオーケストラに、当時の当代一のソプラノ、マリア・カラスが、リハーサルで歌っている。カラヤンが言った。

マリアさん、その場所はそうではなく、こんなふうに歌ったら如何ですか?ラララ、、、、。

それを聞いたカラスは、一言、貴方がお歌いになれば?、カツカツと靴音と共に退場し、ドアはバタンと閉められた。

カラヤンとは二度と共演する事は無かった。

フルートのゴールウェイは、クラシック奏者でありながら、JAZZ、ロック大好き。

ジョンデンバーの緑の髪のアニーが大ヒットし、生涯で3,000万枚以上のアルバムセールスを達成、功績を認められて、ビートルズと並び、イギリスに貢献したとして、エリザベス女王から、爵位をもらっている。

僕も30年以上前から、大尊敬し、彼のアルバムを聞きながら稽古してきたので、コンサートで楽屋を訪ね、アルバムを渡し、3ヶ月後に、良かったよとメールをいただいたときは、思わずベランダにてバンザイ三唱したものだ。

その後数回に渡り個人的にお会いしたときはその気さくな人柄に感銘した。

ジミーさん、カラヤンのベルリン・フィルで主席を吹いていたとき、リハーサル中に、カラヤンから話しかけられた。

ちょうど木管メンバーと打ち合わせ中だったので、ちょっと待ってとカラヤンを待たせた。

その結果、3年間口を聞いて貰えなかった。

これと似た話は、JAZZ界でも良く聞くので、誇り高く自我が強いのも程々に、穏便にしたいもの。

昔のJAZZ大先輩の法螺話を。

ジョージ川口さん。戦後すぐのJAZZブームの立役者。

後楽園球場で行われたコンサートでは、ギャラの配分が大変だった。

当時の100円札を松本英彦を含む各メンバー、厚さ30センチづつ分けたそうな。中村八大さんだけは大学生だったので半分の15センチ。まだロックが無かったので、ジャズが唯一のポピュラー音楽で、ジャズマンは、アイドル、ファッションリーダーでもあったそうな。

彼は戦時中は、世界で一番早い零戦の飛行士だった。訓練中に、幅の狭い絶壁になっている川を発見、これは丁度よいと、狭い隙間を機体を垂直に保ちながら見事すり抜けたそうな。

ジョージさん談、、、いやー、流石の俺も、岩肌で顔を擦りむいて、引っかき傷が付いてしまったよ。爆。

有馬徹とノーチェクバーナは、当時の有名ラテンバンド。

有馬さんは、戦時中は、隼という戦闘機の飛行士だった。

零戦に勝るとも劣らないスピードを誇る隼で、機銃掃射をすると、弾丸が、銃口から出たと思うと、隼があまりにも速いものだから、弾丸に追いつき、銃口に弾丸は戻る。

弾丸は出たり入ったりを繰り返したそうだ。爆。

つのだひろさんから聞いた話です。

大先輩はの法螺話は、ほのぼのしますね?今日も良い一日を。

来週から関西4日間弾丸ツアーが始まります。出たり入ったりはしない予定です。