音楽が、商品として売られていた時代は、ほぼ過ぎ去ったようだ。
レコード、CDと音楽がバッケージされて売られていた時代、ジャケ買いなどと言って、美人なので買ってしまった歌手が、思ったほどではなくガックリ、またはその逆などと言うことも。
貸レコード店に通い、いつもジャズ、フュージョン、ボーカルの、新譜をカセットにダビングして、カーステレオ、マイリスニングルームで大音量で聞きながら走っていたのはついこの前のことだ。
コーヒーショップなどで流れているジャスなどは、有名な演奏が多く、ビル・エヴァンスのワルツフォアデビーのあとはコルトレーンのブルートレインが掛かっているが、この歴史に残る世紀の演奏を誰も気に留めず、洒落たBGM以上に感じる人は少ないだろう。
畏怖と驚きを持ってこれらの音楽を聞かない方が不思議でしょうがないのだが、、、。
職業音楽家は、音楽を聞くときに、もちろん楽しみながら聞くのだが、分析的にも聞いている。
絶対音感が有るなしは実は音楽の能力とは何の関係もない。
音楽は、調性があり、和音の進行があり、メロディ音階があり、リズム、グルーブがあり、歌があり、人間の声という最高の楽器があり、その他の楽器があり、最近では、コンピューターでそれらを模擬的に再構成した音楽がある。
かなでられる音には味があり、映像や、肌触り質感があり、作家や演者の人生がある。
ジャズ屋が、いや僕の場合は、音楽を聞くとき、簡単な曲だと、メロディは、ドレミで聞こえる。また、コード進行を追いかけて、どういう動きをしているかを認識する。
レベルの高い人は、メロディが、そのコードの3度なのか9度なのか、不協和音なのか、基本的な音なのかも判別して味わって聞いている。
そんな聞き方をして、楽しいのですか?という質問は、素人の方から良く受けるが、小学生に大学生の頭の中は理解できないように、答えはこうだ。
最低でも、君の100倍以上は、音楽を隅からすみまで楽しんでいるよ。
いやいや、楽しみ方に、優劣や、何倍というのもおかしな話だ。
でも君の使っていない脳のいろいろな部分も総動員で楽しんでいるのは確かだろう。
わざわざ敵をたくさん作るつもりは無いが、吹奏楽やオーケストラに参加し、音楽とは譜面であると思いこんでいる人たちは、ほとんどがそうだろう。
音楽をやっているように見えて、転調やコード進行が感じられない、感じることは無いという人は多い。
僕から言わせるとなんてもったいない。世界最高の料理を、味わうことも無く、丸呑みしてどこが楽しいのかな?
きらきら星や童謡レベルの曲でも、即座に5キーに移調して演奏しろと言われたら、彼らは、こう言うことだろう。
そのように譜面を書いていただけば、さらった上で、演奏しましょう。
どんなメロディでも、コードバターンでも即座に12キーで演奏できるよう訓練しているのが我々なのだが。
また、声楽、歌手ならば、知っている曲ならば、音域の限り、上げようが下げようが同じ曲として歌えるのは、太陽が東から昇るのと同じくらい当たり前なのだが、器楽の人も当たり前にしたら、素晴らしく自由な世界に通じているのだ。
新潟から通うT君は、仕事のついでと言っては僕のレッスンに通う社会人。交通費をかけても、それだけの価値があるからと嬉しいことを言ってくれる大いに尊敬する心を持つ、素晴らしい方だ。大事な生徒さん。
レッスン中に僕のサックスでの歌い方を聞いてとても驚き、その深い表現をいつか物にしたいという。その心意気や良し。
だが、数年努力したら追いつけると思っている所は、可愛らしくもあり、素晴らしく勘違いなところではある。
人には生まれ持った素質と言うものがあり、その可能性の範囲にしか行けないものだ。
寝ないで毎日死ぬほど努力したらからと言って、誰でもオリンピックに出られる訳ではないのと同じだ。
でも自分の可能性を伸ばすことはできる。
努力と言う言葉は、嫌々ながらでも我慢して続けると言うニュアンスがある。
音楽も言う言葉の通り、楽しいことを楽しいから続けるなのでなくては、ずつと続けるのは不可能。
まず自分でもうっとりするいい音を作る、あとはいい音を、出し続けるだけで、いい方向へ向かうだろう。
素晴らしく人を尊敬する心を持つ彼のこと、僕も可能な限りアドバイスしたら、人を感動させる演奏をする人に育ってくれるだろう。