年賀状が毎年減っているということだ。
毎年100枚以上は頂いていた年賀状だが、昨年時間の余裕がなく出せなかったら、最近はいただく枚数もガクンと減っている。
それでも、今年頂いた、数十枚の来た分だけは、ライブの案内も兼ねて返信できた。ふう。
この人だけには挨拶しておきたいという人も実はたくさん残っているので、年賀ではないお便りにする事にしよう。
教室をやっていると、まず生徒さんの、今年は頑張ります年賀状が多い。ハイハイ頑張ってね??
整理してやろうとここ10年分の年賀状を見始めたのがいけない。:-)(●´ϖ`●)
この友人はどうしているだろう、
あの熱心だった生徒さんは?
この親戚は、この前亡くなったなあ、
知り合いでも少しづつ鬼籍に入った人や、連絡が取れなくなった人も、、、。
ドイツ人の中学生にサックスを教えていたこともあったので、本国でもう立派な大人だろうな、、、。
一枚一枚見ていたら、いくら時間があっても足りず、過去へのタイムスリップは、まるで一生を終えるときに、見させられる、自分の一生ダイジェスト版のようだ。
あの世に行く前に、自分の一生を超高速で、おさらいしなくてはならないと聞いたことがある。
いろいろな経験を積ませて貰ったおかげで、経験値が上がり、いろいろなタイプの人、状況に対応できるようになった。
今までのケーススタディで、同じ過ちは繰り返さない気はするが、若かりし自分に60代の自分がアドバイスするとしたら、、、、
いろいろな判断をする前に多くの友人や年長者の意見も参考にし、縁のある人たちを、末永く手厚く大事にし、もっともっと感謝しろと言いたい。
クリスマス・キャロルのスクルージのように、死んだときに、ああ、嫌なやつが消えてくれて良かったと言われるよりは、いい人だった、親切で愛に溢れていた人だったと言われるように。
ハイ、そうします。
これからでも遅くはない。向かい合う人は、すべて鏡であり、自分の姿を正確に映し出してくれているのだ。
そう思って、明日から会う人ごとに可能な限り最高の対応をしよう。
ハイ、そうします。
また会いたい、一緒にいたいと思わせる仕事、態度をしよう。
まるで短い時間のうちに、何度も一生を生きたような気がする或る夜のストーリー。